「歌では届かない声が、きっとある。」
ライブハウスで歌い続けたあの日。
耳を傾けてくれる人はいたけれど、社会は何も変わらなかった。
ただ頑張っても報われない——そんな時代を生きてきた彼女は、ある日気づきます。
「もう、誰かに任せてはいけない」と。
参政党から東京選挙区に出馬を決意したsaya氏。
音楽家、キャスター、YouTuberという異色の経歴の中に、政治家になる“必然”が潜んでいました。
この記事では、彼女の人生に何が起き、なぜその一歩を踏み出すに至ったのかを追いかけます。
それはきっと、私たちが今、何を信じて進めばいいのかを教えてくれるはずです。
この記事を読むとわかること
- saya氏が政治に踏み出すまでの背景
- 音楽活動を通じて伝えたメッセージ
- YouTube発の影響力と信頼の理由
- 氷河期世代と自らの関係
- 参政党と結びついた決定的な理由

歌手から政治家へ──「表現者」の覚悟
人の心を動かす手段は、歌だけではなかった。
音楽と語りで人々に希望を伝えてきたsaya氏が、2025年、ついに政治の世界へ歩を進めました。
その挑戦は、華やかな経歴ではなく、「傷ついた世代の声なき声」に背中を押されたものでした。
saya氏の原点は“癒すこと”だった
神奈川県横浜市出身。
青山学院女子短期大学英文科を卒業後、ジャズシンガーとして活動を開始したsaya氏(本名:扇清香)は、癒し系の歌声と語りでライブシーンを中心に活躍してきました。
ラッセル・ワトソン、西城秀樹らとの共演、年間150本を超えるライブ。
舞台の上で彼女が届けたのは、技術ではなく“共感”でした。
なぜ政治の道を選んだのか──きっかけはコロナ禍
2020年、新型コロナが音楽業界を直撃。
自身も活動が止まり、仲間が夢を諦めていく中、「政策ひとつで人生は変わってしまう」という現実を突きつけられました。
「このまま黙っていたら、何も変わらない」
そう思った彼女は、表現者としてではなく、“行動する人”として政治の扉を叩いたのです。
YouTubeという武器|“チャンネルさや”の存在感
政治家になる前から、彼女は情報発信者でもありました。
YouTube番組『チャンネルさや』では、三橋貴明氏や藤井聡氏との対談を通じて、積極財政、歴史認識、教育、国防など多岐にわたるテーマを取り上げています。
テレビでは語られない真実を、やさしい言葉で紐解く。
それがsaya氏の強みであり、登録者数・再生数を伸ばしている理由です。
自分自身も“置き去り”にされた氷河期世代
saya氏が深く寄り添っているのが、就職氷河期世代。
自身もその世代であり、バブル崩壊後の閉塞感と苦しさを実感してきました。
就職、結婚、家庭、老後——すべてが“不安定”だった世代だからこそ、「もう一度立ち上がる」ための声を国政に届けたい。
saya氏は、そんな決意を抱いています。
参政党との出会いと出馬決定の裏側
彼女の活動は、やがて参政党の目に留まりました。
神谷宗幣代表は「言葉に力がある」「論客と対等に語れる」と評価し、東京選挙区からの出馬を打診。
saya氏は「人生の中で最大の決断」と語りながら、その誘いを受け入れました。
支持を表明したのは、元航空幕僚長の田母神俊雄氏や経済評論家・三橋貴明氏ら。
保守系のキーパーソンからの信頼も、彼女の「覚悟の証」と言えるでしょう。
まとめ|「誰かの代弁者」である前に、自分自身が生き直すために
saya氏の経歴は、華やかなものというより、“時代に翻弄されてきた普通の人”の記録です。
だからこそ、多くの人が自分を重ね、彼女の言葉に共鳴します。
音楽で届けられなかった希望を、政治の場で。
saya氏の挑戦は、「私たちにもまだできることがある」と気づかせてくれる物語です。