TBSドラマ「キャスター」に主演中の阿部寛さん。
現在の阿部寛さんといえば、日本を代表する実力派俳優のひとり。2025年4月から放送中のTBS日曜劇場『キャスター』では、真実を追い求める報道キャスター・進藤壮一役を熱演し、その迫真の演技が話題を集めています。
そんな阿部寛さんですが、実はその華麗なキャリアの原点は“トップモデル”だったことをご存じですか?
この記事では、阿部寛さんのファッションモデル時代の活躍にフォーカスし、MEN’S NON-NOでの伝説的な表紙記録や、俳優転身のきっかけ、そして今に続く魅力の源を徹底解説します!

『キャスター』で光る、モデル経験を活かした表現力
現在放送中のTBS日曜劇場『キャスター』で阿部寛さんが演じるのは、正義感にあふれた報道番組のキャスター・進藤壮一。
理知的で冷静ながらも、真実に迫る時の鋭い視線や堂々とした所作は、まさに“元モデル”だからこそ表現できる美しさと存在感です。
モデル時代に培ったカメラとの距離感や姿勢、視線の送り方は、報道キャスターという職業の演技においても絶大な説得力を持たせています。
『キャスター』の放送をきっかけに、若き日の彼のスタイリッシュな姿に再び注目が集まっているのも頷けます。
このように、阿部寛さんのモデル時代の経験は、現在の演技にも確実に活かされており、『キャスター』はその象徴ともいえる作品となっています。
偶然の出会い:ノンノボーイフレンド大賞での栄光(1985年頃)
阿部寛がモデルの世界へと足を踏み入れたのは、1985年、中央大学理工学部に在学中のことでした。
姉に勧められ、軽い気持ちで応募したという「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」で、見事グランプリに輝いたのです 。
当時、彼は電気工学を専攻する普通の大学生であり、まさか自分が芸能界でキャリアを築くとは想像もしていなかったかもしれません。
優勝のきっかけとなったのは、賞品の車が欲しかったというユーモラスなエピソードも残っています 。
しかし、この偶然の出来事が、彼の人生を大きく変えることになったのは間違いありません。
189cmという恵まれた身長 と、一際目を引くハンサムな容姿は、瞬く間に注目を集め、「かっこいい!」「憧れる」といった賞賛の声が多数寄せられました 。
時代のアイコン:メンズノンノと共に歩んだ黄金時代(1986年~1990年代初頭)
阿部寛のモデルキャリアにおいて、最も特筆すべきは、1986年に創刊された男性ファッション誌「MEN’S NON-NO(メンズノンノ)」での活躍でしょう 。
彼は創刊号から43号まで、連続で表紙を飾り続けました 。
この前人未到の記録は、「世界で最も長く同じ雑誌の表紙を連続して飾った人物」としてギネスブックにも認定されています 。
この驚異的な記録は、単に彼が人気モデルであったという事実以上に、当時の日本の男性ファッションシーンにおいて、阿部寛が絶対的なアイコンとしての地位を確立していたことを示唆しています。
「MEN’S NON-NO」は、それまで男性向けファッション雑誌が少なかった日本において、若者たちの間で絶大な支持を得て、新たなファッショントレンドを牽引する存在でした 。
その創刊当初から、阿部寛はまさに雑誌の顔となり、彼のスタイリッシュな着こなしやクールな佇まいは、多くの男性読者の憧れの的となりました。
1980年代後半から1990年代初頭にかけての日本のファッションは、デザイナーズブランドや、時にはモード系のスタイルが注目を集めていました 。
阿部寛は、その高身長と洗練された雰囲気で、これらのトレンドを体現し、「MEN’S NON-NO」を通じて広めていく役割を担っていました。
対照的に、「MEN’S CLUB(メンズクラブ)」のような、より伝統的なアイビースタイルを重視する雑誌もあった中で、「MEN’S NON-NO」は時代の半歩先を行く、よりトレンドを意識したファッションを提案しており、阿部寛はその象徴的な存在だったと言えるでしょう 。
彼の「MEN’S NON-NO」での活躍は、雑誌の30周年を記念して2015年に刊行された特別版「大人たちのメンズノンノ」でも再び脚光を浴びました 。
この特別版でも表紙を飾り、加藤雅也との対談企画「阿部寛 加藤雅也presents 30年目のふたり、振り返れば奴がいた! オレたちの旅in Singapore」が掲載されるなど、彼の功績は長く語り継がれています 。
当時、彼はまるで王子様のように扱われ、月に4000通ものファンレターを受け取っていたというエピソード は、彼の絶大な人気ぶりを物語っています。
表:阿部寛の主なメンズノンノ表紙掲載例
号数 | 発行年月 | 特記事項 |
---|---|---|
創刊号 | 1986年6月 | 風間トオルも登場 |
No. 43 | 不明 | 連続表紙の最終号 |
1987年2月号 | 1987年2月 | 荻野目洋子、ビートたけしと共演 |
1988年8月号 | 1988年8月 | 野村宏伸、井森美幸、山田詠美と共演 |
1989年3月号 | 1989年3月 | 真田広之、麻生祐未、U2、大沢たかおと共演 |
1989年11月号 | 1989年11月 | 田辺誠一、風間トオル、竹野内豊、柴田恭兵、永井真理子と共演 |
2015年9月29日発売号 | 2015年9月 | 大人たちのメンズノンノ、創刊30周年記念 |
この表は、阿部寛が「MEN’S NON-NO」の表紙を長期間にわたり飾っていたこと、そしてその時代ごとのファッションや文化を反映していたことを示しています。
創刊号から連続で表紙を飾るという偉業は、彼が単なるモデルではなく、「MEN’S NON-NO」という雑誌の象徴的な存在であったことを物語っています。
カバーの向こう側:その他のモデル活動
阿部寛は、「MEN’S NON-NO」だけでなく、「non-no(ノンノ)」でもカリスマモデルとして活躍していました 。
彼がモデルとしてデビューするきっかけとなったのも、「non-no」主催のノンノボーイフレンド大賞での優勝でした 。
1989年の「non-no」には、南野陽子と共に表紙を飾った号も存在します 。
これらの事実から、阿部寛は「MEN’S NON-NO」だけでなく、女性向けファッション誌である「non-no」においても、幅広い層に支持される人気モデルであったことが伺えます。
彼の持つ独特の魅力は、性別を超えて多くの人々を惹きつけていたのでしょう。
ランウェイから銀幕へ:俳優への転身(1987年以降)
モデルとして絶頂期を迎えていた阿部寛は、1987年に映画「はいからさんが通る」で俳優デビューを果たします 。
当時人気絶頂のアイドルであった南野陽子との共演が、彼にとって大きなモチベーションになったと言われています 。
しかし、モデルから俳優への転身は、決して順風満帆ではありませんでした 。
モデル出身という肩書きや、その甘いマスクと高身長から、 типичный な二枚目役ばかりが与えられ、役者としての幅を広げることに苦悩した時期もあったようです 。
彼の189cmという身長は、女性共演者とのバランスから、キャスティングにおいて不利に働くことも少なくなかったと言われています 。
1988年にはアイドルとしてCDデビューも果たしましたが 、その後は俳優業に軸足を移していきます。
俳優としての転機となったのは、1993年に出演したつかこうへい作・演出の舞台「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」でした 。
この舞台で、彼はバイセクシュアルの刑事という複雑な役柄を演じ、それまでのイメージを大きく覆す演技を見せました。
この経験が、彼の俳優としての才能を開花させるきっかけとなり、以降、彼は様々なジャンルの作品で個性的なキャラクターを演じる実力派俳優として、確固たる地位を築いていくことになります。
モデル時代の残像:色褪せない輝き
阿部寛のモデルとしてのキャリアは、彼の初期の成功と名声の基盤となりました。
彼のスタイルの良さとカメラの前での存在感は、俳優としての彼の魅力にも繋がっていると言えるでしょう。 ダンディーな魅力はもちろんのこと、モデル時代に培われたであろう、視覚的な表現力や自己プロデュース能力は、俳優としてのキャリアにおいても大いに役立っていると考えられます。
彼のモデル時代の写真は、時折、メディアやSNSで取り上げられ、その変わらぬハンサムぶりに驚きの声が上がることがあります。
最近の例としては、2024年3月に放送されたTBSドラマ「不適切にもほどがある!」の最終回で、彼の「MEN’S NON-NO」のポスターが登場し、視聴者の間で大きな話題となりました 。
また、その直後に放送されたソニー損害保険のCMには、現在の阿部寛が出演しており、過去と現在の彼の姿が同じ 画面で描かれるという演出は、視聴者に大きなインパクトを与えました 。
これは、彼のモデル時代のイメージが、今なお多くの人々に記憶され、愛されている証拠と言えるでしょう。
結論:ファッションアイコンから国民的俳優へ
阿部寛は、大学生として偶然掴んだチャンスを活かし、トップファッションモデルとして一時代を築き上げました。
数々の雑誌の表紙を飾り、日本のメンズファッションシーンに大きな影響を与えた彼の若き日の活躍は、その後の俳優としての成功を語る上で欠かすことのできない重要な存在です。モデルという華やかなキャリアを土台に、彼は俳優として更なる高みを目指し、今や日本を代表する名優として、幅広い世代から支持されています。
彼の俳優としての強烈な眼差しの奥には、かつて時代の最先端を歩んだファッションモデルとしての自信と輝きが、今も確かに息づいているのです。