PR

パーカーおじさん発言の妹尾ユウカと堀江貴文|議論の考察

 コラムニストで脚本家の妹尾ユウカ氏(27)は、YouTubeチャンネル「新R25」の動画内で「40歳近くになって、パーカー着てるおじさんっておかしい」と発言しました。

 この意見に対し、実業家の堀江貴文氏(52)は「50過ぎても余裕でパーカー着てるおじさんです。おかしいんですかね?」と反論し、 さらに「おじさんがパーカー着るなとか、若い子と交流するなとか言うのはエイジハラスメントじゃないですかね!」と指摘しました。

 妹尾氏は「パーカージジイはおかしい説に信憑性が増したのではないでしょうか。おかしいから残せた偉業がたくさんありますよね」と再反論しています。

 この一連のやり取りは、年齢とファッションに関する議論を巻き起こし、SNS上で大きな反響を呼んでいます。今日はこの問題について取り上げてみたいと思います。

ヤフコメの書き込みから

 yahooコメントランキングでは、この話題が上位となっており、さまざまな意見が飛び交っています。細かい分析は別に譲るとして、おおまかに分けると次のような感じになるようです。

  1. 妹尾ユウカの発言報道に対する批判的意見
    年齢は関係ない エイジハラスメントだ 物の見方が狭い 若気の至り 自分が年を取ったらどんなことを言われると思っているんだろう 人間性が染み出ている発言だ 可哀そうな人だ 他人のことは放っておいてほしい   職業柄言うことではない
  2. 妹尾ユウカの発言報道にビビったという意見
    着るのを控えようかと思った 着こなし方に気を使わなければと思った
  3. 冷静・中立的な意見
    炎上を招く切り取り方をマスコミがしている そもそも気にしない いくつになっても平気で着ている こんなことを取り上げること自体が理解できない 

 もう少し細かく分類もできるのですが、私はヤフコメに寄せられたコメントの内容よりも、その数の多さに違和感を感じたのです。軽く5000件を超えているんです。

 冷静・中立的な意見の場合は、別として、ここまで報道が炎上した背景には、「おじさん」という表現にネガティブな印象を感じた方が多かったからではないでしょうか。

「おじさん」よ 自信を持て!

 私が思ったのは「おじさん」よ、自信を持て!ということでした。ヤフコメの中でも、何歳になってもパーカーは着るし、それを恥じることはないという意見がたくさんありました。その通りです! 何歳になろうが、どんな服を着ようが、一目を気にすることはありません。

 年齢を経て積み重ねたもの。そっちの方が、何を着るのかより、ずっと価値があるのではないでしょうか。

そもそも「おじさん」「オバさん」をどう定義する?

 妹尾ユウカ氏は、40歳近くを「おじさん」と定義。これに反論するネットの意見として「27歳のオバ」という言葉が飛び交っています。

 ChatGPTに「おじさん」「おばさん」をどう定義するのか聞いてみました。いろいろ説明が出てきましたが、結論は・・・

「おじさん」とは、主に年齢を重ねた男性を指す言葉であり、年齢、外見、行動、社会的なイメージなどが複合的に影響します。その意味合いは文脈や使う人の感覚によって異なり、親しみを込めた表現から批判的なニュアンスまで幅広い使われ方をします。

「おばさん」とは、主に年齢を重ねた女性を指す言葉であり、年齢、外見、行動、社会的なイメージが複合的に影響します。親しみを込めた表現から批判的なニュアンスまで、文脈や使う人の感覚によって異なる幅広い使われ方をします。

 要するに定義なんてないってことです。「おじさん」とか「おばさん」って、自分で決めることではないということです。ましてや他人に決めてもらうことでもない。

 30代半ば、40代半ばの女性が「私、オバさんだから」とおっしゃることが多いです。ちょっと自虐的に感じます。私はそいう時、「女子みたいな言葉の方が適切じゃないですか?」と言うことがあります。他にもっと適切な表現があるといいのですが。

 自虐的になるのは、身体の衰えが気になるからでしょうか。積み上げて来た経験や知識の厚さを忘れてしまうからなのでしょうか。大変残念なことです。

TPOはわきまえるべき? でも時代は変わっている

パーカーおじさん発言の妹尾ユウカと堀江貴文論争の考察

 妹尾ユウカ氏の発言は「商談の席でのパーカー」の話だと付け加えてありました。それに対してもいろいろ意見がありました。

  1. 商談の時のパーカーはよくない
  2. 商談であってもパーカーだけでなく、最近はカジュアルな恰好ですることもある
  3. プライベートでパーカーを着るのは問題ない
  4. プライベートでもパーカーはダサい

 と、最近は商談と言えども私服やカジュアルなスタイルですることがあるのですね。そこで思い出したのがスティーブ・ジョブズです。(スティーブ・ジョブズ ウィキペディア

スティーブ・ジョブズがなぜジーンズでプレゼンをしていたのか

 まだ企業のプレゼンと言えば、スーツが常識?でしょうか。しかし、生前のスティーブ・ジョブズはジーンズでプレゼンをしていました。

スティーブ・ジョブズがジーンズでプレゼンをしていた理由は、シンプルで親しみやすいイメージを出しながら、Appleのデザイン哲学を象徴するためです。また、服装の選択を統一することで時間を節約し、重要な決断に集中するためでもありました。彼のスタイルは効率性やブランド戦略を反映したものでした。

ジーンズでのプレゼンが彼のスタイルでしたから、誰も文句は言いませんでした。

何を着るかは自由 どう感じるかも自由 でも多様性はその先にある

 本来何を着るかは自由。他人の服装をどう感じるかも自由。言論も自由です。これを全部ひっくるめて、単に多様性と言うことには疑問が残ります。

 最近忘れられているのは、言論の自由は、公共の福祉の反しないことが前提なのです。SNSの普及は、匿名での発信ができるために、誰がどこで傷つくのかが意識されにくい、つまり公共の福祉が前提となっていないということです。

 また、自分だけの思い込みや印象を、一般論として語ることもSNSでは多いようです。このことを考えるうえで、かつてはよく使われた心理学の説明ですが、「ジョハリの窓」という考え方を取り上げてみます。

ジョハリの窓の話 多様性理解のための知識

 ジョハリの窓は、自己理解と他者理解を深めるための心理学的モデルです。これは、異文化理解、多文化理解の世界でもよく使われる説明です。

 以下の4つの窓から成り立っています。

  1. みんなが知っている部分
  2. 自分が知らないけどみんなが知っている部分
  3. 自分だけが知っている秘密の部分
  4. 誰も知らない部分

図にすると次のようになります。

 差別や偏見は、BCDの窓が理解されていないことから生じるのではないかと思います。

 人権問題や世界で進んでいることがらについて、まだその知識を得ていない人の場合がBの部分となります。 

 うつ病などの精神疾患は、患った人にしか、そのつらさはわかりません。これはCの部分です。

 宗教対立などはDにあたるでしょうか。

 ジョハリの窓のBCDの窓を意識することが、本当の意味で多様性を理解することになるのだと思います。そして、少しずつAの部分を増やすことが争いをなくすために必要なのではないかと考えます。

 今回の問題は、部分的に切り取られた「おじさんパーカー」発言に対して、「ハラスメントととらえられることがあるよ」と、教えてあげただけのことと考えることもできます。できれば「個人的に」すべきだったところを、公の場でした結果炎上。そして膨大なコメントが付いたということでしょうか。

 妹尾ユウカ氏 vs 堀江貴文氏の言葉の切り取りに、これだけ多くのコメントが付くこと。この現象は、「知らない」部分を、どうお互い埋め合うのかという考え方が、まだまだ浸透していないことのあらわれと感じました。本来、これは教育の分野で重視されるべきものなのでしょう。

ジョハリの窓の考え方は国際交流や外国語を学ぶ上では必須の常識

 インバウンドが盛り上がり、海外からの人たちが日本にたくさん来るようになりました。やりとりの中心は英語を含めた外国語です。ただ、国際交流と言う場合、言葉だけでは本当のコミュニケーションは成立しないことは、この記事を読んでいただいている方にはよくわかっていただけていると思います。

 言葉以外のコミュニケーションという意味でも、ジョハリの窓は見直されてよいのではないかと考えています。

 学校で、家庭で、職場で。ジョハリの窓の考え方が見直されることを願うばかりです。

 

タイトルとURLをコピーしました